嘘日記8/6

 結核の症状が現れたのは土曜の夕方のことであった。
ここでいう結核とは西洋医学的に名前の付いたそれでない。全身の口から咳が出て英語と日本語がそっくり入れ替わってしまう秋の日の病のことを言う。三角公園に一人うらぶれた浮浪者が氷菓子にしゃぶりつくように、私の心臓はキュルキュルと音を立てるまでになった。

 ボンバイエ、ああボンバイエ。祈りの呪文も空しく病状は日に日に悪化した。ある日は肥後に嫁いだ妹からの見舞いの手紙をムシャムシャ。天然痘にはいくつかの相があり、この日はヤギの相が出たらしく、手紙を食べつくしてしまってようやく正気を取り戻したが後の祭り、ついぞ内容を知ることはできなかった。またある日は調子が良く水元公園に花を見に行ったが、到着するなり我を失い、気が付いた時には天辺丸ごと穴の開いたカンカン帽をかぶり、木っ端、石ころ、おまけに太ももでモータウンビートを刻んでいた。広末の相なるかな。
 地面に座り込んで太ももをぺちぺち鳴らす成人男性を見かねたか、誰かが警官を呼んだらしく、正気を取り戻した私は意の一番に公権力への弁明を強制させられた。
警官の態度といえば私を気違い扱いするばかりで、公園に遊ぶ人々の無遠慮な目もあり、大変に恥ずかしい思いをさせられた。十億人に一人の奇病について無教養な公僕に説明するのは実際、苦労しました。

 いかに名刀三日月宗近といえど、刀身に血のべっとり付いたそれに芸術美術の感はなく、傍目には単なるヒトゴロシの凶器に過ぎない。なで斬りにした警官のBodyを尻目に、私はひどく陰鬱な気分に陥った。浮浪者から奪ったござで自慢の名刀を簀巻にし、人目を避けながら、捜査網をかいくぐりながら、トボトボと帰路に就く気分の惨めさったら、孤独感ったら。
 実際病の辛いのは、人間の孤独を一層助長するところにある。懸命に私の看病をしてくれる父母であるが、忙しいのを無理して見舞いにやってくる友人であるが、決して私の肉体的・物理的苦しみを共有してはくれぬ。
茶をすすりながら談笑する父母を、土産の果物を遠慮がちに頬張る見舞客を、病床から見上げるとき、私は一等強く孤独を感ずるのであります。
 ますます気が塞いできたのでここはひとつ幕末ゲッターチェンジ。マッハを超えて加速すればなんなく官憲の目を搔い潜ることができるでござるよ。
あとゲッター線のお陰で病気も完治でござるよ。ビューンビュンビュン、ギュイーン、戯れに浅草十二階を空爆でござる、ハハハ。僕は射精した。

日記10/13

10時前に起床、段々と生活が乱れ始めている。生活習慣の乱れはシェアハウスのせいでなかったらしい。 遠出する予定が、やる気が出ない。昼までダラダラす、調査についてダラダラ考えていると、先の見通しが立たず憂鬱になってきた。

一転気持ちを切り替えるべく遠出を決行。 ホテルのマネージャーにボダを呼んでもらい、ジンジャタウンから東に5キロほどにある町、ブゲンベに向かった。

 

ブゲンベの真ん中には、街と街をつなぐ太い幹線道路が通っている。であるからして、それなりに栄えている。 まずは腹ごしらえ、グーグルマップを頼りに幹線道路沿いのレストランを探したものの、レストランはなかった。 近隣に他の飲食店も見つからず、諦めて街を歩き回ることにした。

少し幹線道路をそれると、平均的なウガンダの田舎町といった雰囲気。 だが家の数が多い、遠くの方までギッチリだ。 デコボコの道路沿いに並ぶ家々、小さな生活雑貨野がまばらに。教会やゲストハウスもチラホラと。 伝統宗教に関連する何かがあると聞いてやってきたが、少しこの町は大きすぎるかもしれない。フィールドワーク素人には手が余りそう。 とはいえタダで帰るわけにはいかんので、一人二人には話を聞くぞと決意す。

歩いているとポークジョイントの店員に声をかけられた。「ヘイチャイニーズ!」。違う、しかし利用することにした。飯を食ったのち、話を聞こうと決めた。 豚串一本3000シリング、この国の常で肉は固いが、味は悪くなかった。食べ終わり立ち上がると、店の関係者か何だかよくわからないおじさんが登場。食用ウサギを売りつけようと営業をしかけてきた。ウサギはいらんと言い放ち、店員に金を払う。のち、えいやと質問。 まともに話を聞いてくれなかった、そして何故かウサギのおじさんが召喚された。こいつと話せ、とのこと。 相変わらずウサギのおじさんはウサギを売りつけようとしてくる、ジンジャタウンまでウサギを見せに行くと言い出した。 ウサギはいらんが、伝統宗教を探してくれ、見つかったらお礼はするぞ!

そういうことになった。連絡先を交換した。

 

しばらく街をうろつく、小売店でコーラを買ったら、横で見ていたガキにケーキをせがまれた、断ると舌打ちされた。殺すぞガキが。 カンパラにはこんなガキいなかった、やはり首都の子供は上品か。

さらにうろつくと市場に迷い込んだ。この市場はそれなりに面白かった。狭い範囲に露店が並びちょっとした迷宮のよう、 日よけのため頭上に布が張ってあるのだが、なぜかこれの背が異様に低い。中腰でふらふら迷いながら散策した。 途中おばちゃんに声をかけられたのでオレンジを買った。ついでにレモンも売りつけようとしてきた。レモンはいらない。 声を張り上げながらぐるぐる同じところを歩き回っているおじさんを発見、初めはキチガイかと身構えたが、よく観察すると魚を売っていた。 寅さんの啖呵売みたいなもんか。

迷宮市場を抜け幹線道路に出ると、揃いのTシャツに身を包んだよくわからない集団に声をかけられた。彼らは「NABBI DAUDI」という男を称える集団だった。 彼らは「NABBI DAUDI」の写真を片手に「NABBI DAUDI」を褒めちぎり、挙句集会に来いと言い出した。 英語が得意でないので細かいことはわからなかったが、とにかく日曜に集会があるらしい。雰囲気からしてどうせ新興宗教だろう、ムコノの街にもこの手の奴らがいた、が、少し面白そう。 行ってみちゃおっかな、などと考えていると、彼らは突然ボダを呼び止め次々に乗り始めた。「GO!ジンジャ!!」と興奮気味。 日曜は聞き間違いで集会はこの後すぐか、行くっきゃないか。迷っていると、西から大量の人間を積んだトラックが2台。積み荷はみな同じTシャツを着ている。 そしてやたらと盛り上がっている。なんじゃこりゃ、と思うが早いか、トラックは走り去ってしまった。彼らを乗せたボダもトラックに続いて走り去った。俺は一人取り残された。

 

その後ボダを使ってジンジャタウンに帰った。しばらくパソコンで作業した。途中ホテルマネージャーにブジャガリ滝の場所を聞いた。

アリーからメッセージが来た。20000シリング貸してくれとのこと。 「住所のわからん人間に金は貸せない、これは俺の人生のルールだ、家に案内してくれるなら貸してやる」と嘘ルールをでっち上げ、 ややカマをかける。家は遠いので無理とのこと。おめーの家が近いのは知ってんだよ、じゃあお金は貸せないねという話に。 一度は引き下がるアリー、が、しばらくすると学費云々叔父が約束を守ってくれなかった云々ゴチャゴチャ言い出した。 知らねーよ貸さねえつってんだろうが。きっぱりNOを突きつけると、「わかった時間取っちゃってごめんね」と引き下がるアリー。 やっと諦めたかと一息つくやいなや、またアリーからメッセージが。「5000シリングだけでも貸してくれ」とのこと。 前々から怪しいと思っていたが、アリーのクロはこれでほぼ確定。死ね。 晩飯はローカルレストランで食べた。ウガンダで初めて魚を食った。臭みはあるが、結構美味かった。

嘘コラム11/26

飛ぶ鳥を落とす勢い、という形容に相応しく、つい先日、十数年の辛苦が認められ、ついに部長に任じられた第8913中学時代の友人が、北の空へと飛んでいってしまいました。全く中年の、配偶者にまじないをされた中年の、臀部の爆発的な推進力には、驚かされるばかりです。我々は時々、人の思惑などにかまわず、肛門から火を噴く必要がある。読者諸君の中には、周囲の目などを気にして、噴くべき時に噴かず、少量のVXガスなどをひりだし、同僚や愛する家族を、死にいたらしめた経験のある者も少なくないでしょう。気弱で知られるA君などは、兄弟親戚の結婚式など、慶事の度にガスをひるものですから、とうとう血縁が居なくなってしまった。しかるべき時に、火を噴けない男の人生の、なんと悲しき事か!やはり男子たるもの、故郷を焼き尽くすほどに、七色の炎を豪快に噴かなければなりません。先に挙げた、北の空へと飛んでいった友人などは、故郷の町を地図から消してしまいました。手本としたい所であります。

嘘デビリン占い10/9

朝ランドセルをしょって学校へ向かった僕は、通学路で懐かしいものを発見しました。それは、面白くて、太っちょで、陽気で、そしてとても。そう、小さいころ隣に住んでいた菊田のお兄さんです。カブトムシほどに小さくなった菊田のお兄さんは、無い足を引きずりながらヨタヨタと僕について来ました。しばらくは無視して歩いていた僕ですが、いつまでも着いてくるお兄さんが嫌になったので、踏んづけてやることにしました。キッと後ろを振りむいた僕。真っ赤に充血した僕の目玉に気付いたのでしょう。お兄さんは無い頭を地面に擦り付けて命乞いを始めました。ほら、もう僕のほうが強いんです。だって僕は大人になったんだから。お兄さんは土下座の姿勢で地面に何度も頭を打ち付けます。ガンガン。ガンガン。ガンガン。ふと、僕は気づきました。お兄さんが一回地面をたたくごとに、お空と地面が離れていくのです。もう随分離れてしまったようで、気づけばお天道様が米粒ほどの大きさに。あたりはすっかり暗くなってしまいました。逃げなければ。僕はその場を駆け出しました。勿論後ろからお兄さんも追ってきます。僕は叫びます。助けて!お巡りさん!助けて!でも誰も来ません。そういえばあの時もお巡りさんは助けに来てくれませんでした。小さかったお兄さんが背後でムクムクと大きくなっているのが僕にはわかります。逃げなければ。でもどうして逃げているのでしょうか。僕はもう大人なのに。指の一本一本がおちんちんの大きな手が、僕の肩にねっとりと絡みつきました。ところで伊集院さん。

嘘日記2/6

午後13時起床。14時よりスラムキング林田によるドスケベ仏語講座あり、急ぎ支度する。おろしたてのコテカを股間にねじ込み駅へ、近鉄電車と大阪メトロを乗り継ぎ林田御殿へ向かう。俺の放火で全焼した難波グランド花月跡地に林田御殿が建ったのはつい先日のこと。盛り場のど真ん中に突如として現れたゴシック調の大聖堂に、大阪の人々はたいそう驚いた。高さ100米はあろうかという正門前の通り、通称林田通りは今日もMD(マッドバザール)で賑わう。そのほとんどが毛ンバーガー屋であるからして、林田通りにはいつも人毛の焼けるコゲ臭い匂いが立ち込めている。店から逃げ出した(検閲により削除)を追うおやじを尻目に門をくぐると、よく手入れの行き届いたイチョウ並木、抜けるとそこは林田御殿。尖塔の先から下がる「田村ゆかり芸能生活23周年!」の垂れ幕が目を引く。田村ゆかりのラジオ面白いよな。寝。

日記11/30

およそBカップ、乳輪がひどく小さい。もうちょっと乳輪が大きい方が美しいのではないか、よし乳輪を拡大しよう。乳首をつまみスマホの文字を大きくするように指を開く、スッと乳輪が大きくなる、成功だ。乳輪が適切なサイズにまで広がった。やったぜパーフェクトボディ!この辺で目が覚めた。

午後は冴えカノ映画見た。

その後人家行ったら知らん女が残していった化粧水とか歯ブラシとかがあって歯ブラシに「ザキは私のものヨ!」って落書きしようとしたら止められた。肌が乾燥していたので化粧水使った。

嘘昭和十年盆の月夜日記 10/20

長年おらが村の農業を支えてきた脱穀マシーン、山田41号が不調をきたす、のみならず暴走。業務用オシャレ芝刈り機の生体部品にすべく家々を襲っては赤子を攫う悪い子ちゃんロボになってしまった。子供達を芝刈り機のパーツにするわけにはいかない、彼らには立派に成長してHIKAKINの様なユーチューバーになってもらわんと困るのだ。3月ばかり前の事である。鎮守様が庄屋どんの口を借りてお告げになられた。村の赤子を全てユーチューバーにせよ、さすればこの地、新しいラブライブの舞台にならん。皆喜んでお告げに従った。熊楠も乗り気であった。国男もはしゃいでいた。信夫は同性愛者であった。山田41号の暴走を止めねばならない。村人たちは一丸となって猛り狂う山田41号の前に立ちふさがった。山田41号は強かった。熊楠はミンチにされてしまった。国男も耕された。信夫は変わらず、同性愛者であった。